「最新のテクノロジー」というのが、割と好きでして。なので、新しいモノが出たら「とりあえず買ってみる」というというスタンスなんです私。そして基本的には「新しいモノや、考え方が正しい」と思っているタイプでもあります。

そんな私が唯一、「昔の方が良かった」と感じるモノが、インターネット。インターネット黎明期の頃って本当になんだか、有象無象のサイトたちがたくさん煌めいていたんだ。

玉石混交だったけれど、最低限の知識が無いとWebサイトは作れない時代だったから、たとえば「ジオシティーズ」みたいな無料のスペースを借りることはできても、サイト自身は「ホームページビルダー」みたいなソフトを使ってデザインしたサイトを、せっせとアップロードしたりしていた。

サイト上には、何かしらの分野で一家言持つようなオタクたちが乱立。だから、そこで何かを調べることは楽しい時間だったし、その濃厚な内容に引き込まれて、“気がつけば、明け方”なんてことも多々あった。それはまあ当時、“テレホーダイ”という夜中11時からしか定額にならないという仕組みが、ネット族を深夜族にしたというきらいはあるだろうけれど。

テキストを書いている主、同好の士を見つけた時の交流も当時のネットの楽しさの一つ。イスラエルが開発したインスタントメッセンジャー(今で言う、PCで使うラインのようモノ)の『ICQ』みたいな、当時の続々とリリースされる目新しいプロダクトを使って、世界中のオタクたちと繋がることができた。その頃のプロダクトは、本当の意味でフリー。オタクたちがリアルに善意でリリースしてくれていた。

だから、当時は「ネットの未来は明るくて、輝いているのだ」なんて、純粋に思っていたものだ。

ところが、結局の所それは幻想でしかなかったように感じる。たとえば今なんて、「ネットで調べ物をする」なんて気にはなれない。どのキーワードを検索しても小銭を稼ぎたいだけの、バカ丸出しで軽薄なアフェリエイトサイトばかりが溢れているから。

ITは確かに革命的な効率化をもたらした。でもそれは、良い部分だけではなく、生活や仕事の「遊びの部分」を食いつぶされてしまうことにもつながってしまって、なんだかとっても息苦しい世の中になってしまったのだ。

ちなみに当時から想定されていた、現在のネットの概念は言葉こそ変わっているが、実現している。たとえば当時から「家電など、すべてがネットに繋がる社会がくる」と提唱されており、「ユビキタス社会」と言っていたものだ。これは今の「IoT」という言葉に置き換わっただけで、割と当時から言われていたではあった。でも、「ユビキタス社会が来たら楽しいはず」なんていう、無邪気な願いは叶ってはいないけれど。

なお、当時アングラサイト(UG)と言われていた群が、今の「ダークウェブ」へと繋がっているのだが、当時のUGは今の「ダークウェブ」のような、悪質なものではなかったと思う。

そして、今感じているのは『VR』が同じ道をたどるような気がしてならないということ。今のところ「なんだか楽しい『VR』」だけど、VR空間上で会議ができるなど(既に開発はされている)、実務に役立つとなれば、「出張」なんていう無駄な、でもちょっとワクワクするようなものは無くなってしまう。

──楽しくないテクノロジーは、なんだかちょっとしんどいなぁ。