実体経済と完全に乖離した動きをしている、各国の株式相場。日本もその例に漏れない。これだけ失業者が増加し、街の経済がストップしているにも関わらずだ。一応は、コロナ後を織り込んで上がっているとはされているが、何の解決もされてはいないし、ワクチンもまだ開発はされていない。よしんばされたとしても、一旦蒸発した経済は干上がったままであり、倒産した会社は倒産したままのはず。

しかし、そんなこと関係なく、相場は上昇を続けている。これは完全に「相場」と「実体経済」が違うものとして機能しだしたことの現れであり、富の偏重がますます進んでいることの証左。「明日に食料を買うお金もわずか」という層と、「お金が余っているから、投資にでも回すか」という層がいるということ。前者は僅かばかりのお金がさらに無くなるし、富んでいるものはその余剰資金をますます増やしていく。当然のことながら、後者の方が圧倒的に数は少ない。

その先はどうなるのか、というのが、私が日々思うことだ。もしかしたら、良く言えばいよいよ庶民が目覚める時、悪く言えば大衆による全体主義への傾倒へと進むかも知れない。

第二次世界大戦から約100年。先進国は総じて、一応の平和に保たれてきた。その結果、たとえば日本であれば“最初は焼け野原からのスタート”だったものが、3代を経て財産が受け継がれることで、富の偏重が定着。その最たる例が「家賃や住宅ローン」だ。都会に家や土地を持っているものは、そこに住めば家賃や住宅ローンを支払わなくてすむ。さらには、余分に持っていれば家賃収入まで得ることができる。逆に、家が無ければ高い家賃を支払うか、住宅ローンを組むしか無い。

その結果、可処分所得の大きな差異が出ていくる。いわゆる「持つものと、持たざるもの」の差だ。これまでは不満が噴出したとて、労働者側にも見返りはあったから、ある水準程度には抑えられてきた。

しかし、である。今は乱世に突入した。人間のエゴが剥き出しになるのが、乱世だ。個人単位でも、国単位でも。

日本で見れば、治安維持法の成立は1925年。日中戦争が1939年。萌芽がそこに至るまで10年単位のタームがある。

これを一つの指標として、私は生きている。