アクセスで「妖怪」と「今昔物語」が非常に多いもので。こちらについて書いてみようかなと思った次第です。

私の結論は「日本人の根本思想にユニークさがあって、他民族は既存の神々を完全なる悪に仕立てて、新しい神や仏を受容したが、日本人は既存の神々を“妖怪”というユニークな存在として取り入れていった」というもの。

これは私の持論で、今も変わっていない。

日本人は言うまでもなく、面白い民族だ。

西洋と比べて「真面目過ぎる」と言われるが、アイツらのスタンドアップコメディーなんて、日本のお笑いから見たら1000年以上は遅れている。言うまでも、日本はミラクルピースと言われた江戸時代にお笑いは熟成され、その後も進化を続けていったのだ。

そしてそれには「日本語」も大きく寄与している。日本語ほど、お笑いに向いている言語はないのではないかと思うほどに。イエス・ノーがはっきりしている英語なんてのはビジネスにおいては完璧だろうけど、情緒が無い。その点色々と“フワッとした”語感を持つ日本語はお笑いに最適であるように思う。

お笑い至上主義のワタクシ。

もともとお笑いに適した言語に対して、ユニークな根本思想、さらに熟成する期間がたっぷりとあり、なおかつ消費者がお笑いに対して貪欲、そしてさらに芸人たちの自己研鑽と競争が凄まじい中で独特の発展をし続けているのが日本のお笑いであり、西洋人なんかには理解できない深い文化だ。私が日本に住んでいるのは英語が苦手というハンディキャップもあるが、この熟成された“お笑い文化”の存在が大きい。てか、それだけかも知れない笑。日本語と、お笑い以外は別に日本に魅力は感じないし。。。

話が妖怪と今昔物語から結構逸れた。

妖怪と言えば、水木しげる先生がトップであることに異論を唱える人はほぼいないだろう。その前だと江戸時代の鳥山石燕にまで遡る。水木しげるは鳥山石燕をベースにしながら、オリジナルで妖怪を創り上げていった。そこには戦争という異常空間の中で生じた“空想世界の経験”を水木しげる自身が体験したことも大きいと思う。

今昔物語は説話集だ。

「あるところに、こんな話があった」みたいなもの。今で言えばネット掲示板辺りで書かれているエピソードをまとめたものに近い。だから、今は“バズった話”が1000年後には“説話集”になっていることだろう。そう考えて読み込むと興味深いので、ぜひ一度読んでみて欲しい。奇想天外、“この話、ほんまかいな?”や“絶対、盛ってる”などとツッコミ満載なところも、現在の掲示板やらTwitterやらでバズってる内容と酷似している。

これも私の持論だが「結局のところ、人間は本質的には変わらない」ということだ。テクノロジーの発展や、時代の流れなどはあるけれど、根本的にやってることは変わらない。技術革新や時流によって「呼称などが替わるだけ」である。

歴史は常に繰り返す。

歴史を勉強すると、実は人間が決して「進化」しているわけではなく「成長」をしているのだということを学ぶことができる。だから、歴史を勉強することは面白い。