正しい宗教の見分け方。

結論から書きますが、簡単に見分けられるんです。逆説的ですが「私達は宗教です」というところは、まずヤバイです。ちゃんとした宗教ほど、「私達は真理なのである。だから人間の作った宗教とは違うのである」という立ち位置になるので。

ええ。面倒くさいですよね。私もね、思いますよ。でもね、「ちゃんとした宗教」ってのは、ちゃんと見抜いておかないと怖いなんていう言葉じゃ言い表せないレベルで、恐ろしいものなんです。劇薬ですから。

宗教劇薬説。

兵士に、自分の子どもを殺され、自殺しようとしてる母親を救うのも“とある宗教”であれば、その母親に自爆テロをそそのかすのだって“とある同じ宗教”です。えと、これって悲しいけど現実なんですよね。

普通に生きていていると、毎日が楽しいだけではないでしょうが、かといって「死ぬほど辛い」っていく局面も少ないと思います。

でも、人生って、何かにぶち当たって、死ぬほど苦しい時だったりしますよね。それに対して、正しい道を示すのが正しい宗教です。「誰か(人)にすがれば大丈夫」ってのは、ヤバイ。神なり仏なりってのは、人を超越した存在であるので、「人」ではないのです。だから、弱ってくるところにつけこんで、お金をせしめたりするのは、悪い宗教だと断言できます。もっと言うとカルト宗教ですよね。正しい宗教であれば、平時であれ、緊急時であれ、ちゃんとしてます。

あと、属人化している宗教は、非常にヤバイです。

人間と言うのは、絶対に間違いを犯すものですし、神様にはなれないんです。どれだけいい人だったとしても、人は人。例えばガンジーだったしても(私が好きな賢者の一人ですが)、やっぱり人間なんです。その点、神は間違いを犯しません。これは『絶対に』です。

神を信じてる立場からしたら「神は超越した存在なのだから、当然である」ですし、逆に無神論者からすれば、そもそも神様なんて存在を否定しているのだから、間違いを犯しようがありません。

完璧じゃないから、人間なんですよねって話ですよ。

どんなに聖人君子みたいな人でも、人間で有る以上は、何かしら“悪”とされる部分はあるでしょう。修行などにより、それを封じ込める努力をしていたとしても、ごくごく小さなものは残ると思います。もちろん、その努力は素晴らしいし、普通の人も真似るべきだとも思います。でもって、悪人ってのもこれまたやっかいで。悪人なら「完全に悪」であれば、一方的に叩けるのですが、悪人の中に“善”の心があったりする。だから、難しいし、愛すべき存在なんだと思います、人間って。

もう、腕振り上げちゃったから勢いで書いちゃうね笑

「属人化している宗教はヤバイ」「人間なのに、“教祖を神だ”って言い出したら、その宗教はヤバイ」って書きましたよね、上記で。ええ、そうです。だから、あの「著名人が降臨した」とかって、YouTubeで宣伝してるようなあの宗教は、ま、言っちゃいますけど、そりゃもうお笑いですよ笑。普通は。

しかも、何が笑けるかって言うと、例えば「ビートたけし降臨」みたいな時って、ちょっとその教祖、モノマネ入るんですよね。まぁ信者じゃなければ爆笑なんですけど、信者的には「素晴らしい」ってなるわけですよね。

でもね、批判をさせてくれる宗教はそこまで、悪どくはないと思う。

もちろん、人には人それぞれの考え方や価値観があり、宗教のでその最たるもんです。人の信仰に人があれやこれや口出ししてはならないものだと思っています。ただ一方で、明らかに倫理的に反していると感じたら、それはツッコまざるを得ないし、私はツッコミをいれます。

…とは言う物の、批判をさせてくれる宗教はまだいいですよ。1番ヤバイのは、批判をさせてくれない宗教ですからね。

宗教リテラシーみたいなものがパキっとしている、欧米あたりだと。

1年間あたりに、宗教団体が求めてくる寄付の金額で「カルトかそうじゃないか」を決めてたりもするらしいです。あまりにも高額なものであれば、その時点でカルト認定をするようですね。さすがドライな欧米。

何はともあれ、無宗教の人が多い日本。というか、極めて多神教的な日本。それを一神教側からすると「何だそれは!」という曖昧模糊とした、わけがわからない価値観になるんでしょうが、なんでしょうね、そうした「多様な価値観を受け入れる」みたいな、そうした受容性をみたとき、「日本人の精神は、根本的にユニーク性を有している」って、私は感じるんですよ。日本のお笑いが世界トップレベルなのは、江戸時代の長きにわたる戦争のない時代に醸成された「あうんの呼吸」みたいなものが、今でも生きてるような気がします。戦争しちゃうと、コミュニケーションって、イチからとらないとダメになっちゃいますからね。

一方で、日本人の排他性と言うのもなかなかのものですが笑。

島国というか、村意識というかもあり、精神性はともかく「人種」としては、極めて排他的だと思います日本って。日本のお笑いって完全に、「外国人にはわかってもらえなくて結構」っていう前提でつくられているように思いますし、僕はお笑いについてはそれで良いとも思っています。

でまあ、そうした精神性が、よくも悪くも、いろいろ相まって、今のポップカルチャーみたいなを生み出す源流になっていったんだろうなと日々考えているわけです。日本人の精神が、リアルに欧米化しちゃえば、効率厨でありクリスチャンでもある私にとっては、都合が良い世の中ではありますが、おそらく一般的な日本人にとってはなかなか、しんどい社会になるだろうなあと思います。ギスギスした社会になっちゃいますし。でも、もう既になりつつありますが。

最後、なかなかフワっとしましたが、日本人の宗教受容とお笑いとを感じていただけたら、そして「属人化された宗教って、怪しいけれど一番恐ろしいのは“批判をさせてくれない宗教である”」っていうが伝わっていたら、うれしい限りでございます。

本日は、これにて。

大好きだったオリラジのあっちゃんを、嫌いになってしまった話。【パート2】

以前書いた、【大好きだったオリラジのあっちゃんを、嫌いになってしまった話。】に、「あ、読みましたよ」といろいろな人に感想を言ってもらえた。実にありがたい限り。いいねとか、コメントは私的に大いなるモチベーションアップにつながるので、お時間があれば何でしょう、「なんらかの功徳を積む」という意味でも、アクションを下されば非常に幸いです。

えとですね。前提として、お笑いが大好きなんですが、中でももともと、あっちゃん、中田敦彦が大好きだったんですよ。で、まあなんでしょうね、武勇伝で出てきた時から、最近の動向までほぼ全部ウォッチングしてきてますし、無限大の「オリエンタルラジオの90分」はリアルタイム&アーカイブ(当時のGyaOは良かった。ソフトバンクに買収されてから、お笑いもなんもわからんアホが勝手に笑いが大きなところだけ切り取って1分尺とかの安っぽいコンテンツとやらにする以前の話ですが)も見てますし、最近だとオールナイトニッポンをあっちゃんが始めたと聞けば、飛んで聴きに行く・・・くらいの感じだったわけです。

RADIO FISHは、金爆を意識して作られたユニット。

これRADIO FISHのプロジェクトがスタートしたころにあっちゃん自身が「金爆のマネである」ということを公言してます。もともと、ゴールデンボンバーって、「エアバンド」ですよね。楽器とかひかない(ひけない)わけですよ。でもって、ゴールデンボンバーってNSC(吉本のお笑い養成所)出身ということもあり、完全にオリラジとしてベンチマークしてたわけです。

でもって、RADIO FISHは色々と言われていますが、僕は割と好きです。ようは「こんなんで女子供(実際の意ではなく、「薄い」という意味合いの使い方としてこの言語を使用)は喜びまっしゃろ?」という戦略なんですけれど、あっちゃんは別に音楽の人じゃないし、お笑いの人だし、その人がシニカルに「女子供の好きな音楽をつくってやったぜ、どやさ?」ってのは、全然面白いのレベルだと思っていて。まあ、僕自身、音楽に思い入れが無いので、あの楽曲も含めて楽しんでいましたけれど。

だから、RADIO FISHは「アーティストになりたい」って感じではなくて、あくまでも「お笑いの表現のひとつである」くらいの位置づけだったはずなんですね。

究極、面白ければ何でもいいんですよ、私は。

「政治に向かうと今テレビでは干されてる芸人さんになるんでしょうかね。」という意見があります。私の考えを述べますね。
えと、まあ例えば政治に向かう芸人としては、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんとかが挙げられるかと思います。私、村本さん、割ともともとは好きだったんですよ。ウーマンラッシュアワーのオールナイトニッポンから、村本さん一人になってからのオールナイトニッポンを全部&何回も聴くレベルかつ、四国で開催された独演会に、京都から車で高速に乗って日帰りで行くくらいレベルには。

村本さんの場合は、結構単純で。「もともとめっちゃ頭は良くてキレッキレなのに、これまで全く政治とかの勉強をしてこなかったところに、一気に日本トップレベルの情報網がやってきて急激に博学的になったパターン」です。

村本さんは自分でも良く「中卒だ」と言っていますが、言うまでもなく、THE MANZAIの覇者ですし、あっちゃんとはまた違ったタイプの戦略家です。非常に頭がいい。ただ、学校の勉強は全くしてこなかったし、そこに絡む政治の話とかにも一切触れてこなかった。そこに、急激に有名になり、トップレベルのニュースソースに直接アクセスできるようになったから、ある種の「正義感」が芽生えた結果、今のような炎上につながっていると私は分析しています。初期の頃の“意図的な炎上”とは、今の炎上は質がまったく違うように思いますし。

あ、あっちゃんの話でした。
あっちゃんの場合は、もともと普通にエリート。ただ、あっちゃんの大学は慶応大学で、一般的には優秀な学歴なんですが、あっちゃんが行っていた中学や高校からすると、おそらく同級生は東大京大が普通のラインなので、慶応大学でも「落ちこぼれ」という扱いになっちゃうわけです。いや、私からしたら慶応大学なんて恐れ多い存在ですけどね(ちなみに私の高1の時の志望校でしたし笑)

あっちゃんが、テレビに出れないのは、「干されている」というのではなく、単純に「テレビとして視聴率がとれない」ということだけだと思います。「あっちゃんが出てるから、見よう!」っていう人が少なくなってしまってるんです。

これって、完全に戦略ミスなんですよ、実は。

前回の記事を要約すると、「あっちゃんが本来“コアターゲット”としているような、ちょっとおじさん系ではなく、女子供相手に安い商売をし出したから嫌いになった」ってことなんです。

で、「幸福洗脳」って書かれてるだけのTシャツを2万円で買っちゃうような、煽りやノリだけで動くような「女子供のファン獲得」に舵を切ったわけです。で、どうなったかというと見事にそれは成功。安いファンたちで溢れるようになりました。ちなみに、これは別に妄想で言ってるわけではなくて、実際にライブ会場に足を運んだり、彼のオールナイトニッポンを聴いていたら、ギャグではなく、本当の意味での「自分の頭で考えられないアホたちをファンにして、お金をせびる」という戦略は透けて見えます。

ただし、「女子供相手の安い商売」って、長続きはしません。一時は良くてもね。なぜなら薄いファンは、離れるのも早いですし。あと、TVって見ませんよね、その層って。だから、普通にTVの視聴率とは関係のない芸人になっていくという。

あと、あっちゃんが今やってることって、RADIO FISHが金爆をベンチマークして、戦略が描かれたように、YouTuberにベンチマークをして戦略が立てられて実行されてるわけですよ。これもオールナイトニッポンで本人が直接言っていたこと。で、YouTuberがこれからどうなっていくか・・・っていうと、なんともねという。

一方で、TVが我が物顔をしていた時代は、もう終わっています。あとは、緩やかな死です。ただ、だいたい半世紀くらいはブイブイ言わすことができたわけですから、いい時代を経験されたと思いますよ、TVさんは。でも、そのビジネスモデルはもう古いし、通じないしって思います。

──色々書きまくったんですが、まあ「お笑いオタクの戯言」と思っていただければ、これ幸いでございます。

ミキのお兄ちゃんが凄いと感じた話。※さすが上岡龍太郎の甥

どんな漫才も、食わず嫌いにならないように、必ず一度は見るようにしている。あとはただの好みであり、好き嫌いであると思っている。で、「ミキ」。まあ、弟の亜生の方が人気なんだけど、今回感じたのは、不人気の兄、昴生の魂のぶっとさ、凄さ。久々に、お笑いを見ていて、ゾクッとしたレベルで。

当初は「ワーキャー人気のお笑いじゃん」くらいに感じていたのだけれど、徐々に面白いと感じるようになり。好んで観るようになったミキ。

で、表題に戻るけど、昨今のお笑いネタ番組──特にコント系(最近だとR-1)──って、客が笑うのはいいんだけど、ネタの設定に対して「エー」とか「キャー」とかっていう悲鳴みたいなものを上げるのが、非常に苦々しくて。


そんな中、いつものようにミキが漫才でちょっとした設定で話しだした時に、「キャー」の悲鳴があがったことに対し、昴生が「うるさい!漫才や言うてるやろ!」と一喝してスタートしたのが、昴生のキャラとも合っていて、非常にスカッとした爽快感を感じたのだ。あれ、設定に対する悲鳴で、笑いを潰されてる芸人にとっては、拍手喝采だったんじゃないかな。それくらいの一喝。

この辺、「さすが上岡龍太郎の甥の、魂のぶっといところだな」と感じた。私は普段、「本当のお笑いはラジオである」という持論があり。その中で言えば、実はミキが兄弟でやってるラジオって、そんなに面白いとは感じていなかったんです。

だけど、「岡村隆史のオールナイトニッポン」にお兄ちゃんだけがゲスト出演し、岡村にブチ切れする(そういう設定)のまくしたてるようなトークは、マジで面白かった。どっかに音源は転がってると思うで、ぜひ聴いてほしい。そんなことをるる感じる、春先の古都。

フリーランスの実態について

「フリーランスやってます」と言う話をすると、だいたい「それで、生活できるんですか?」って言うのと、「めっちゃ儲かってるんでしょ?」という、極端な2つの反応にわかれることが多い。

今でこそ、「フリーランス」という名称の認知度が上がってきたよ思うが、それでもまだまだ「実際のところ、どうなん?」って思っている人が多いんじゃないかしらというのが、僕の印象。

ただ、一つだけ言えるのは、これからフリーランスが急増し、あふれてくるということ。それは国の政策として“テレワーク”を推奨していることを鑑み、間違いないからだ。この“テレワーク”だが、実は小泉内閣の頃に、同じような概念として“SOHO”というものが提唱された。

でも、その頃って、国が本気じゃなかった。国としては、あくまでも収入がガラス張りの会社員の方が、税金をとる上では楽だったのだ。しかしこれだけ、富の再分配が行なわれることなく格差社会が促進し、ある意味「収入の多様化」が起こっている現在、そうも言うてられんとなったことがみてとれる。それが“税金”だ。物事を判断する時、わかりやすいのは常に結果であり、お金の流れだ。今回“テレワーク”に対して本気だなって思う根拠の1つは、マイナンバーによる管理。

自営業者は、毎年確定申告を当然やっている。この確定申告に、マイナンバーが必要になっている。これにより、「誰がいくら稼いでいるのか」というのは、一目瞭然にわかるようになった。すべて数字に、税金を紐付けることができる。つまり国としてはお金が取りやすい仕組みを整えたと言うわけ。国がフリーランスに対する政策を打ってきている以上、間違いなくフリーランスは増えてくる。

結論から言うと、フリーランスは儲かる。

で、最初に出した「儲かるか?儲からないか?」で、フリーランスとして生活ができているかどうかの結論なんだけど。ぶっちゃけると、一定の修行期間を経て独立した人って、「儲かるから独立した」のであって、結論は「儲かる」になる。会社員時代は、どんだけ案件を推進したとしても、月給分しかもらえない。だけど、フリーランスになったらフルコミッションなので、やればやるだけ儲かるのだ。大体、ライター職の正社員って、一般職とは違って生粋の“裁量労働制”が敷かれている。残業代なんてものとは、無縁。生まれ育った環境がそうなのだ。

ただし、良いこともあって。普通の仕事では許されないようなことも、普通に許される。例えば、音楽を聴きながら原稿を書いたりとか、YouTubeを普通に仕事中に見たりとか。「いやこれ、業務に必要なんですよ」と言えば、だいたい通る。良いモノさえ制作していれば。で、そのままダラダラと長時間労働にはなる。
※ちなみに、クリエイティブ職なのに自由さがなくかつ裁量労働制でがんじがらめのところは、ブラックなだけなので即辞めてください。私のようなポップなタイプの人間でさえ、その手の会社に引っかかって鬱状態になって辞めたレベルだから。。。

だけど、安定収入とは無縁です。

上記の通り、一定の修行期間を経てフリーランスになった人と言うのは、「儲かるから独立した」のであって、会社員の方がメリットがあれば、そのまま会社でやっているわけです。一方、「他にやることがなかったので、一旦、書くのとか好きじゃないけど小銭稼ぐ手段としてライターやります」的な人は、まぁ厳しいと思います、正直。僕は、旅が好きなので、日本各地に出歩いているんだけど、田舎の方で「私、ライターやってます。田舎なので他に仕事が無いので。書くのも好きじゃないのでしんどいです」とかって話を聞くと“いや、それはあんたのモチベーションとスキルの問題だよ”と心の中で思ったりもします。

ただ、本当に高額案件が、東京に集中しているというのは事実なので、「プロの下請けライターになるなら、一回は東京に行け」っていうのほんとにリアルな話です。まぁ大体、東京に出てます、やっぱり。僕も、お客さんの99%は東京ですしね。京都の田舎に住んでるくせに笑。千鳥ノブに言うと、「田舎の案件は安過ぎてできんのじゃ~」です笑。

田舎の良さって、ありますよ。田舎マーケティングについて。

あ、田舎の話が出たので、田舎マーケティングの1つの面白い事例を挙げさせてください。若い農家さんが独立して、新しい農作物を創るにあたって「ブランディングや販促なんかのお手伝いってしてもらえないだろうか?」という話がありました。どのような方法で直売するかや、新しい農作物を、どのようなコンセプトで訴求し、そのためにはブランド名にするか、販促のキャッチコピーはどうするか?みたいなところです。

で、その若い農家さんは独立したてだったので、キャッシュを持ってなかったんです。ただ、昔からの知り合いで、こちらが専門職としてやっていることは理解して、頼んでくれています。なので「原稿料分+αくらいの、僕は野菜を頂戴」という提案をしました。例えば10万円の案件だとしましょう。彼らから10万円の報酬をいただくのではなく、「12万円分の野菜をもらう」という契約にしたんです。お互いに生産者だし、お互いにメリットのある話だったので、楽しい仕事になりました。──もちろん、そんな物々交換だけやっていたんでは、おまんま食い上げになっちゃうので、まぁやっぱり東京に頼っちゃうことには、なるんですけどね笑

実はこの先も、めっちゃ文章量があるのですが、長くなりそうなので一旦この辺りで。いよいよ、テキストジャンキーの復活です笑

「今昔物語」における妖怪について【卒論より】

「今【目次】
はじめに・・・・・・・・・・・・・・
第一章
第一節 妖怪について・・・・・・・・・
第二節 今昔物語について・・・・・・・・
 
第二章 今昔物語の妖怪について・・・・・

第三章仏教と今昔物語の妖怪についての考察・・・・
            
おわりに・・・・・・・・・・・・・・・
 
 注釈・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

はじめに

私が、このテーマを選んだ理由は、妖怪が好きだからという非常に単純なものであったが、真剣に調べてみると、妖怪は決して単純なものではなかった。
そして、私だけでなく、どうやら日本人は妖怪や、怪奇的なものが結構好きであるようだ。最近で言えば、活字では空前の大ヒットとなった鈴木光司、著作の『リング』『螺旋』(リングに関して、柳田國夫著『妖怪談義』修道社出版 一三五~一四〇頁におさめられている「己が命のはや使い」をヒントに物語が進む点に注目したい。)と言ったものや、京極夏彦の妖怪ものの小説(著作に「姑獲鳥の夏」がある。なお前出の『妖怪談義』三四~三五頁に、同じく「姑獲鳥」の話が見える。)もシリーズ化するなど、人気を得ている。鈴木氏、京極氏の描く妖怪は柳田國夫の著書『妖怪談義』の中において見て取れる。
 われわれが妖怪と聞いて何よりも一番先に思い出すのは水木しげる氏の描く「ゲゲゲの鬼太郎」にでてくる妖怪達であろう。例えば、小豆洗い、一つ目小僧、ザシキワラシ、天狗などといった妖怪達である。

おそらく日本でオーソドックスとされる妖怪のほとんどが氏によって描かれ、そして世間の人々に認知されているのではないだろうか。この水木しげる氏が描いた様々な妖怪達は、元々どこから来たのだろうか。テレビのインタビューで氏は、自らの創作があることを認めておられるが、妖怪のほとんどは江戸時代に創られたものが多い。

 日本の妖怪史を紐解くにあたって江戸時代と言う時代を無視する事は出来ない。明治時代までに絵に描かれた妖怪は、ほとんどが江戸時代に描かれ、その数およそ四百種ほどである。その中でも江戸の妖怪画家であった鳥山石燕(一七一二年生まれ)は、一人でその半分の二百体もの妖怪画を残している。では、鳥山石燕は一体どこから「妖怪」を考え出したのだろうか。それは残念ながらくわしくはわからない。おそらく古代の中国や天竺の妖怪達を模したり、石燕自身が創作したりしたのであろうとされている。石燕の生きた時代と言うのは江戸時代である。水木しげる氏の描く妖怪達を代表として現在知られている妖怪のほとんどが、この時代に作られたといっても過言ではないというくらい、江戸時代は妖怪が繁栄した時代であった。むろん江戸時代に「妖怪」が街中を跳梁跋扈していたわけではあるまい。創作としての「妖怪」というものが非常に人気があったということだ。 このようなことから、日本人は、根本的に妖怪が好きなのではないかと私は思う。
 本論文では今昔物語における妖怪についてみながら、こうした日本人と妖怪の関係をも探って見ようと考えている。

第一章

第一節 妖怪について

 ここでは妖怪というものについて、みてみようと思う。
 そもそも妖怪とは一体何を指して言うのだろうか。広辞苑でみると、「人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体。ばけもの」とある。この妖怪と言う言葉自身が広く使われるようになったのは明治に入ってからであり、古代には妖怪と言う言葉はなく、物の怪、と言っていた。
 ではまず、妖怪というものの存在自身について、考証してみたい。
 本論の史料となる今昔物語においては、妖怪が現実に多く出てくる。鬼[ 『今昔物語』二十六巻に頻出。]や、天狗[ 『今昔物語』二十巻に頻出。]が頻出しており、実際に存在したとして書かれている[ 池上洵一、永積安明共著『今昔物語集 1』東洋文庫 平凡社出版 一頁参照。]。史料を信じると今昔物語の書かれた時代には、そのような妖怪が当時、科学も発達していない世の中において人々が妄想たくましく生きていたという事情をかんがみても、実在していたのだと考える事も出来る。しかし、現代的な発想で考えた時に妖怪の存在を実在のものとして扱う事はナンセンスである。とはいえ、絶滅したニホンオオカミのように、現在はいない妖怪というものが当時は存在していたのではないかとも考えられる。いずれにせよその時代に行くことが出来ない以上、妖怪の存在うんぬんについては不毛な論議となるであろう。

この、妖怪が実際にいるのかいないのかといった疑問に関しては、妖怪博士として名高い井上円了がその著書『妖怪学談義』のなかで詳細に説明している。ちなみに、妖怪博士と書いたが井上円了はいわゆる科学者ではない。彼の出身学科は哲学科であり、インド哲学史の研究で文学博士号をとった哲学者である。「妖怪博士」というと「妖怪が好きでその存在を世に訴える事に力を尽くした博士」というようにとらえてしまいがちだが、実は違う。彼は「妖怪に心を惑わすのは迷信だ」としてそのような迷信退治に一生を費やした博士である。普通の博士であれば一笑に付すような妖怪の存在を、自分の足を使って、実に一道一府四十八県二百十五ヶ所を回り、あくまで客観的に論証した結果、妖怪と言うものは決して存在せず、見まちがいや誤認であるとしりぞけている[ 板倉聖宣著『妖怪博士、円了と妖怪学の展開』国書刊行会 出版。四七頁参照。]。そして現代科学では井上円了同様、完全にその存在は否定されているのだが、現代においても妖怪についての話が説話として出来ている。児童文学家の松谷みよ子氏は立風書房『現代民話考』という、現在の説話を集めた本を出されており、その中には河童や鬼を見た、またはそういう話を聞いたという説話が多く出てくる。

 妖怪についての研究者をもう一人紹介する。民俗学の権威、柳田國夫である。柳田國夫は、日本人の持っている畏怖感というものを、恐怖の感情であるとし、その恐怖とか畏怖の感情が様々に変化していき、妖怪を生み出すようになったのだとしている。そして畏怖とか恐怖といったような原始的な文化の型を持っている話を明らかにしていくことで、少なくとも日本人の人生観や信仰・宗教の変化を知ることができるのではないか、ということを著書『妖怪談義』の中で述べている。そしてもう一つ。彼は著書『民間伝承』の中で「妖怪」というものについて、こう説明している。「妖怪と言うものは古来の神々が零落した姿、たとえば河童は水神であった」この意見には様々な反対意見[ 常光徹編『妖怪変化』筑摩書房 出版。九~一二参照。]もあるが、柳田の説を完全に否定するものではない。

 妖怪についての研究で著名な井上円了と柳田國夫を上げたが、一般的に井上円了の妖怪研究と、柳田國夫の民俗学とは、相容れなかったと言われている。柳田の立場からいうと、井上円了の妖怪学が、妖怪とは迷信の産物だと考えているところに問題があった。柳田國夫は迷信と言う考え方をとらず、神・妖怪と、人間との相互関係を見ようとした。迷信とは社会的な害悪を及ぼすものであるが、妖怪を社会的に害悪の形にしたのは人間の方に責任があると言うのである。つまり、妖怪変化を作り上げていく人間の精神構造が問題なのであり、これを科学的と称して調べていき、結果的に迷信として排除してしまう事を柳田は「化け物を否認した故井上博士」と退け、批判している。柳田からすれば、妖怪と言うものはそれを受け取る人間の側の問題なのであると言うわけである。

 前出したように、現在でも妖怪は存在する。少し前の話になるが「口裂け女」[ 宮田登著『妖怪の民俗学』岩波書店 出版。二〇~二二頁参照。]がそれである。この話には整形手術に失敗した女性である、というもっともらしい説明が付き、多くの人々の知るところとなった。このことから妖怪というものが、人々によって創られる場合があると言うことが解る。この「口裂け女」の話は、柳田の言うところである人間の側の感性というべきものによって創られた妖怪であろう。
 私も妖怪と言うものは日本人の考え方や、感性によって創られたものであると考えており、これを本論で論証して見たいと思っている。

第二節 今昔物語について

 今昔物語は日本の古典説話としては巨大な存在であり、その知名度は非常に高いと言える。その内容を知らない人でも今昔物語と言うものの存在は知っている人が多いだろう。
 しかしながら、実は今昔物語には今だ解明されていない部分が多い(池上洵一著『今昔物語集の世界―中世のあけぼの』筑摩書房出版。八~一〇頁参照。)。そういった未知の魅力を持っている今昔物語自身についての興味も尽きないが、本レポートの主題は「今昔物語の妖怪について」であるので「妖怪」とのつながりを考えた時に注目しなければならない点を重点的に、この節では述べていきたい。その点とは今昔物語の書かれた編者とその時代背景、および思想背景についてである。

今昔物語は古代末期の一千話以上もの説話を集成し、日本の物語史を彩る記念碑の一つとされているが、いつどこで誰によって何の為に造られたのかなど確かなことはわかっておらず、作品そのものが深い謎に包まれている。選者については、林鵞峰編纂『続本朝通鑑』(1670)を始めとして、源隆国とする説があるが、坂井衝平氏による『今昔物語集の新研究』を始めとした反論、今野達氏による『今昔物語の作者を廻って』を始めとした異説も多く、非隆国説は次第に重みを加え、現在においては隆国説にこだわる、あるいは再提案すると言う説も皆無ではないが一般的には隆国説は捨てられつつあり、作者についての定説はない。

今昔物語に精通している池上洵一氏が、編者の特性について、視野が非常に広い人物であり、その視点は大きく外に向かって見開かれており、さらに宗教に対する考え方や人間に対するとらえかたは極めて深く、そういった性格をもつ編者は、その視野の広さから見ても、従来推定されたような人々とはかなり異なった世界の住人であるとしている。私も同意見である。今野達氏が『今昔物語の作者を廻って』において今昔物語の編著者を無名の中・下層の書記僧と推定している。この考えがかならずしも私の考えと完全に一致しているわけではないが、そのような立場の人間が編者だったのではないかと私自身も考えている。

成立年代は、作品が未完のまま埋もれた事(池上洵一編 日本文学研究大成刊行会監修『今昔物語集』国書刊行会 出版。七二頁、今野達著「今昔物語における諸問題」を参照)もあり、成立の手がかりになる史料がほとんど残されていない。そのため、登場人物の生没年や出典とした資料の成立・伝来などから成立年代を調べて見ると、巻二十九第二十七話にその死去が語られている源章家について、『永昌記』嘉承元年一〇月一六日条に、章家の子息が「肥後章家息」と記されており、このことから、当時章家が肥後守として在任中であった事が解り、一一〇六年には生存中であったらしいことがわかる。

さらに、作品の内容から選者が保元、平治の乱(1156年)(1159年)を経験していないと思われることから、成立年代がそのあいだであるということをおおよそ知ることが出来る。大まかに言って、十二世紀前半と言ったところだろうか。時代的には平安時代末期の院政が行われていた頃である。このすぐ後の時代に権力が天皇、公家中心の支配階級から、彼らから支配されていた層であった武士に変わる。後に中世といわれる時代の足音が聞こえつつある時であるが、当時の人々は当然そのことに気づいてはいないが、大衆の心は混乱しており人々が不安に考えていたと言う背景がある。これが今昔物語を生み出した母胎としてあると言ってよいだろう。
 
物語の総数は、全部で三十一巻。ただし現在は巻八・十八・二十一が欠けているため二十八巻である。目録によると、千七十九話であるが、三十九話が欠けていて、実質千四十話であり天竺編、震胆編、本朝編に大きく分かれ、構成としては各部ともに仏教説話があり、その後に世俗説話が置かれる。この比率は本朝部でほぼ一対一、天竺・震胆部では四対一であり、全体で見ても仏教説話が六十五%を占める。説話の配置や数から見て今昔物語の中軸を成すのは仏教説話であり、今昔物語の編纂目的が第一義的には仏教説話の集成にあったことは疑うべくもないだろう[ 簗瀬一雄監修、黒部道善著『今昔物語』中道館 出版。九~一〇頁参照。]。このことは、今昔物語が天竺・震胆・本朝の三部構成を取っている事実自体で証明できる。

当時天竺はあまりに遠い国であり、人的な交流は皆無であったから、天竺の説話は仏典を介してしか知りようがなかった。つまり天竺説話と言えば仏教説話のことなのであって、そういう状況の下では三国の説話を集成するという発想そのものが、仏教説話の集成を意図するところ以外からは出て来ないものなのである[ 同注13 二四七~二四八頁参照。]。

 しかしながら、先にも書いたように、私は編者について、広い視野を持った人物であり、一つの価値観に凝り固まった人物であるとは考えていない。今昔物語においての一番の特徴というものは、この物語以前の説話集はすべて仏法に関わるものだが、今昔物語に書かれてある説話は仏法と関係のない分野・社会の各層にも及んでおり、噂話から御伽噺の類までも集めている所にあると考える。そしてその中で、編者は人間の生き方、世界の多様性を冷静に観察している。つまり、今昔物語の編者は物語の構成やその内容から敬虔な仏教徒であり、仏教と言うフィルターを通して説話を集めたことは疑いの無い事実であるが、その仏教と言う一つの価値観のみにとらわれていなかったということ、仏教という枠を越えて生身の人間に対する強い関心をもって当時の説話を幅広く編纂したのであろうということが、物語本文よりうかがえるのである。もちろん幅広く編纂したと言っても、当時の説話のすべてを今昔物語が網羅できたとは言えないが、当時の日記などと比較すると貴族・僧侶・庶民社会の口承説話を広く反映、カバーしている。そのため、本論においての史料として見る時には、膨大なものとなりすぎるため、本論では、本朝部を中心として妖怪について考えて見たいと思う。

第二章

今昔物語の妖怪について

 今昔物語には非常に多くの妖怪達が登場する。特に、第一章でも書いたように本朝編の巻二十七には鬼、巻二十には天狗が頻出する。

鬼も天狗も、知らない人はいないというくらいオーソドックスな妖怪であり、日本人にはなじみが深い妖怪の代表といえるのではないだろうか。その代表とされる鬼も天狗も、今昔物語の時代にはすでに存在していたの言うのは興味深い。とはいえ、今昔物語に出てくる彼らは、現在我々の知っている鬼や天狗とは若干違うようである。この章では今昔物語における妖怪、鬼と天狗について見てみようと思う。

 まず、鬼についてだが、その姿はどのようなものなのだろうか。巻二十七第十三の「近江の国の安義の橋の鬼、人を食う語」に、馬で鬼から逃げている男が振りかえって見てみると、その姿がみえたとある。その部分を現代語訳すると、鬼の肌の色は朱色で、その顔は円座と呼ばれる藁などで渦巻き上に編んだ敷物のように大きく、目は一つであり、身の丈は九尺(約二百七十cm)の巨体で、手の指は三本。爪は五寸(十五cm)ばかりで刀のようである。体の色は緑青色で、目は琥珀色、頭髪は蓬のように乱れているとなっている。逃げた男は一目見るなり胆も縮み上がって恐ろしくて仕方がないと感じるような風貌であり、ひたすらに逃げた、と出ている[ 同注9 『今昔物語集 5』一四〇~一四六参照。]。

このことから、今日われわれが桃太郎を始めとして昔話に多く出てくる鬼から想像する鬼と少しの違い、例えば、角の記述が無いこと、体の色が赤ではないことや目が一つである、といったことを除けば、今日われわれが昔話の桃太郎などの絵本で知っているような、巨大で、強そうな赤い色の鬼というイメージと近いと思われる。今昔物語の時代、つまり、院政期時代にはすでに鬼の姿の原型と言うべきものは出来ていたと言って良いだろう。

 では、その鬼とは何者であるのか。巻二十七第一「三条東洞院の鬼殿の霊の語」には、三条大路の北、東洞院大路の東の隅に、鬼殿というところがあり、しばしば不吉な事があり、その理由をそこで死んだ人がそのまま霊になったからであるとしている[ 同右書 一二三頁参照。]。また同じく巻二十七、第二十ニ「猟師の母、鬼と成り子を瞰おうとする語」には、猟師の兄弟が鬼の手を矢で射切り、その手を持って家に帰ると母親の手が無く、「おまえ達よくも」と言って、兄弟に飛びかかり、それからまもなく母親は死んだという話があり、人の親のひどく年老いたのは必ず鬼になってわが子さえも食おうとする事があると説明が書かれている[ 同右書 一六六~一六八参照。]。生きている人間も老いると鬼になるとされたわけである。つまり、鬼は巻二十七第一「三条東洞院の鬼殿の霊の語」のように死霊が鬼になることもあれば、第二十ニ「猟師の母、鬼と成り子を瞰おうとする語」のように生霊も鬼になるという事が解る。さらに今昔物語によると鬼はよく人を食べていたようである。

巻二十七第九の「官の朝庁に参上の弁、鬼の為に瞰われる語」では、一人で人気に無いところに行った人が鬼の犠牲になっているし[ 同右書 一三四~一三五参照。]、巻二十七第七「在原業平中将の女、鬼に瞰われる語」では色好みで有名な在原業平が、見ず知らずの蔵に女性を連れ込んだが、雷が鳴ったため夜明けまで女を背後に押しやる。そうこうするうちに夜が明けたが、女はなにも言わない、不審に思った業平が振りかえると、女の頭と衣だけしかない。業平は女が鬼に食われたのであろうと思い、恐ろしさのあまり逃げ出したと言う[ 同右書 一三一~一三三参照。]。これらの話を見ると、鬼というものが人を食べる恐ろしい存在であるとされていたことがわかる。そして、もう一つ、鬼がわざわざ街中に出てくると言うようなことはない、と言う点にも気づく。鬼にとって人が食料であるならば、もっと人の集まるところに出て行けば多くの人間を食べることが出来るのにもかかわらず、鬼は自分から行動を起こして人間の方によってこようとはしないのだ。

あくまで、人が鬼の領域に侵入したさい、あるいはさみしいところに人が一人で行った時などに限り、鬼はその姿を人々に見せることなく人を食うと言う特徴を持っていたことが解る。このように、今昔物語においての鬼というものは抽象的な現象を鬼としている場合が多く、鬼自身が実際の存在として出てくることはほとんどない。鬼自身の存在が視覚的に認められる話は、先に書いた巻二十七第十三「近江の国の安義の橋の鬼、人を瞰う語」のみであり、ほかの話では現実の鬼の姿というのは見えない。不思議な現象、特に悲惨な現象が起こった後で人々が、なるほどあれは鬼の仕業だったのか、と考えるのだ。

 このことから、当時の人々にとって鬼というものが実際の存在として考えられていた、もしくは実際の存在として書かれるくらい人々の中に浸透していたと考えられるのである。いずれにせよ、全体的に見て鬼の話は、人が食べられる話を筆頭に陰惨なものが多いことは確かである。

 次に、天狗についてみてみよう。天狗が歴史上で一番の表舞台に出てくるのは、牛若丸、後の源義経に剣術をおしえた『義経記』に出てくる、鞍馬天狗ではないだろうか。
 この天狗のというものの一般的なイメージは、赤ら顔で鼻が長く、山伏のような服装をしており、高下駄をはき、羽団扇をもって自由自在に空中を飛行する、というものであろう。さらに、背に羽根を付けて、鳥のようなくちばしを持った天狗も、一般的なものと思われる。だが、今昔物語に出てくる天狗のついて、その完全な姿を書いてある記述はみつからず、天狗が変化したものとして屎鳶の格好になったという記述[ 同右書 『今昔物語集 3』巻第二十第十一の「竜王、天狗のために取られる語」(二八九~一九二頁)に天狗が屎鳶になるという変化がみられる。ちなみに屎鳶とは中型の鷹であり、「まぐそたか」とも言う。]があるものの、本体の姿を今昔物語から窺い知る事は出来ない。しかし、天狗自身の話は非常に多くでてくる。

まず巻二十の最初の第一から「天竺の天狗,海の水を聞き本朝に渡来の語」という、天竺の天狗についての話が出てくる。その内容は天竺の天狗が、震胆に渡る途中、海の水が、「諸行無常 是生滅法 消滅滅已 寂滅為楽」と鳴ったので天狗はこれを聞き、なぜに海の水がこんな深遠な意味の法文を唱えるのだろうかと不思議に思い、その水の本性を知ってなんとか妨げてやろうと考え水の音をたどると、その法文は、震胆を過ぎて日本の海まで来ても同じように唱えられている。そこからさらに行くと、琵琶湖にたどりついたのだが、その法文はなお高く唱えられていた。さらに尋ね求めて行くと比叡山の横川から流れでている一筋の川からやかましく唱えられている事実を天狗はつきとめる。

その川の水の辺りには四天王や、諸々の仏法守護神がこの水を守っていた。天狗は驚いて近くによることも出来ずただ恐ろしくたまらなかった。しばらくするうちにあまり上位で無い天童が近くに来たのでおそるおそる近づいてその水について尋ねると、その川は比叡山で学んでいる多くの僧たちが用を足す厠の水が流れてくる川下である、だから水も貴い法文を唱えるのだ、さらにそのために天童も守ってらっしゃるのだ、と言った。

天狗はこれを聞きこの唱文を妨げようとした気持ちが消えうせていた。厠の川下でさえこのように深遠な法文を唱えているということは山の僧の貴い有様を推測すれば、言葉に表しようも無いほどである。であれば、私はこの山の僧になろうと誓いを起こして、天狗は姿を消してしまった。その後、この天狗は誓いのとおり生まれ変わり、この山の法師となった。名を明救と言い、僧正にまでなったという話である[ 同右書 二五七~二五九頁参照。]。

 この話で注目する点は多い。まず、天狗が天竺から来たと言う点、非常に仏法を恐れている点、さらに最終的に悔い改め仏教に帰依し、生まれ変わって法師になった点である。
 そして、巻二十第二「震胆の天狗ちらようじゅ、本朝に渡来の語」では、震胆の強い天狗ちらようじゅが日本の天狗に、日本の僧と力比べがしたいと話す。日本の天狗は大喜びして、案内するものの、余慶律師・慈恵大僧正に手も足も出ない。これらの話から、今昔物語に登場する天狗は、仏教の異端者、修法の妨げとなる魔性として描かれている事がわかる。

しかしながら、彼ら天狗は仏教というものにあっけなく倒される、場合によっては帰依してしまうのである。このことから、天狗と言う存在は、仏教というものが巨大であることを見せるための存在として使われていると見ることができる。さらに見てみると、巻二十第三「天狗、仏と現じ木末に坐します語」では仏に化けた天狗が大臣に見破られ殺されており[ 同右書 二五六~二五七頁参照。]、巻二十第四「天狗を祭る僧、内裏に参り現に追われる語」では、天狗を祭ることで力を得た僧が天皇の病気を治すと言う大役を果たすものの、結局天狗の力であることがばれてしまい追放されてしまう[ 同右書 二六七~二七〇頁参照。]。

どこまでいっても、今昔物語においての天狗の話は、仏教と深いかかわりがあるようだ。そして、基本的には仏教と天狗では明らかな力の差があることから、天狗が空を飛んだり、超能力をもっている以外にも、仏・法師・僧・聖などに変化したり、人に憑いたりできる能力を持った存在ではあるが、結局は高僧や高貴な人間に調伏されてしまう存在でしかなく,たとえ人間が天狗を祭る事によって幻術を得ることが出来たとしてもその幻術すらも、最終的には仏教に調伏されてしまうと言うものであり、天狗に対しての仏教の優位性は揺るぎ無いものである[ 宮田袈裟雄著『天狗と修験者―山岳信仰とその周辺』人文書院 出版。二七~二八頁参照。]。では、なぜ基本的にと断ったかと言うと、聖人が天狗に騙される話が、巻二十第十二「伊吹山の三修禅師、天狗の迎えを得る語」にあるからである。この聖人、三修禅師は知恵が無いため、法文を学ばずに弥陀の念仏を唱えていたが、仏に化けた天狗に騙されて木に吊るされ、弟子が助け出したものの、気が狂ってしまい、その後二、三日する内に死んでしまう。発心した貴い聖人でさえ、このように天狗に謀られてしまうのだ。今昔物語ではこの出来事に対し、魔物と三宝の世界は、まるで似つかないことであるのに、知恵が無いためにそれに気がつかず、謀りだまされるのだ、と語り伝えたとしている[ 同注9 『今昔物語集 5』二九二~二九四頁参照。]。

 さて、この章では鬼と天狗についてみてきたが、その二つを見比べてみると、どちらも妖怪でありながら近似した性格よりも相違した性格であると言える。今昔物語においての鬼は怪異現象の源をなす霊[ 柳田國夫は『妖怪談義』(一五~一七頁参照)の中で、柳田は、霊は都会にいて動かない存在とし、妖怪とはっきりと区別をしている。今昔物語おける鬼の存在はその性格上、妖怪と言うよりも「霊的」存在であると思われるため、鬼のことについての興味も尽きないものの、本論においては、妖怪としてはあつかわないものとする。]的存在であり、おもに都や里を舞台に話が展開されているのに対し、天狗は仏法との対比でとらえられ、山との関連で話が進められている[ 同注28 三一~三三頁参照。]。当時の山というのは仏教にとって非常に大きな意味合いを持っていた、その山に天狗と言う存在が大きくかかわっている事は興味深い。

さらに第一章で私は、天竺の話が出てくる時点でその話は仏教に関連があるのだ、ということを書いたが、巻二十第一「天竺の天狗、海の水を聞き本朝に渡来の語」の天狗の出身地はいうまでもなく、天竺である。このことからも、今昔物語において天狗と言う存在が、極めて仏教と関連のある存在である、ということがわかるのである。逆に鬼は今昔物語においては、仏教との関連を見出す話は無いと言ってよい。鬼は、後の時代に地獄との関連において仏教と深く関わることになっていく。次の章では、この今昔物語についての妖怪と仏教についてみてみよう。

第三章 仏教と今昔物語の妖怪についての考察

 仏教と今昔物語の妖怪との関連を書くに当たって、まず、その時代背景を探って見ようと思う。前出の通り、今昔物語が成立したであろう時代は院政期である。その時代の風潮と言うものを端的に表しているのが、『故事談』の中で、『鳥獣戯画』の作者とされる人物である僧正が、弟子に勧められて遺言状に「処分は腕力によるべし」と記したことを聞き伝えた鳥羽院(原文では白河院となっているが、時代から見て鳥羽院)がこれを聞き伝えて腕力で持って「遺財」を奪い、「処分」したと言うエピソードではないだろうか。

院政期は、まさに、この腕力が幅を利かせた時代なのである[ 五味文彦著『院政期社会の研究』山川出版社 出版。三~四頁参照。]。そうした「腕力」の支配する院政期を見るに当たって、絶対に忘れては行けない存在が武士の存在である。武士と呼ばれる人々が多用され、表舞台にも台頭するようになったのは、この時代からである。そして、僧も現実的な力、腕力を用いるようになっていた。為政者に対し、徒党を組んで強硬に訴えた、南都北嶺の僧兵らの動座入洛で有名な、「強訴」がその例である。院政期は、仏教に師事するものですらも実力を行使するという、混迷した時代であることがうかがえる。今昔物語は、そのような乱れていた時代に編纂されたのである[ 同注16 九~一〇頁参照。]。「腕力」がものを言う時代に武士と言う存在は歴史的必然であった。しかし、それに頼りすぎた事が、後に貴族社会全体の構造を破壊してしまう事は皮肉である。

 院政期の仏教について一番、注目したいのが本地垂迹と言う考え方があったことである。この時代、神道に対して、優位性を仏教は持っていた。神道に対してすら優位な立場にあった仏教は、神道よりも立場の低い他の地主神などは、容易に飲み込んでいった事だろう。

 ここで、今昔物語の巻二十六第七話を見て見ようと思う。「美作の国の神、猟師の謀により生贄を止めたる語」と題するこの話は、次のようなあらすじである。
 美作国に中参・高野という神が鎮座していた。中参の神体は猿、高野の神体は蛇である。毎年一度の祭りには未婚の処女を生贄に備える慣わしであった。ある年、十六・七歳の美しい娘がそれに当たった。指名されるとそれから1年間よく養って肥らせ、翌年の祭りの日に神にささげるのである。そこへ東国から犬山と言って犬を使って猟をする男がやってきた。勇敢な男だった。男は泣き伏す娘を見て同情し、親にあって、「娘を妻に欲しい、生贄には自分が身代わりになるから」と頼んで結婚した。二人はなかむつまじく暮らしたが、男はその間にたくさんの猟犬の中からニ匹を選び、生け捕りした猿を相手に格闘訓練に精を出した。そして、祭りの日。男は犬を左右に付させ、刀を身に添えて、長櫃に入った。人々は生贄の入った、長櫃を神社に担ぎ込むと、祝詞を読み、長櫃を神殿に入れて扉を閉じた。やがて身の丈、七・八尺もある大猿を頭に百匹ほどの猿が現れ、長櫃に手をかけたその時、男と犬は大猿に向かって突進した。犬は猿を食い伏せ男は刀を首につきつけた。「長年おまえがしてきたように、今度はお前を殺してやる。神ならばこの俺を殺して見ろ」と、男は叫ぶ。猿は手をすり合わせて命乞いする。その内に一人の神主に神が乗り移って言う。「今後永久に生贄をやめる。この男を害する事もしない。どうか助けてくれ」神主たちは猿に変わって男をなだめた。男はようやく猿を話してやった。その後、夫婦は末永く幸せに暮らし、生贄も廃止され、国も平穏無事であった[ 同注9 『今昔物語集 5』三八~四三頁参照。]。

 この猿神は人を食べる猿である。その性格や行動、さらに巨大な姿から、明らかに妖怪といえるであろう。私はこの話を見て、子供の頃に昔話で聞いた事があるな、と思った。調べて見ると、関敬吾 著『日本昔話集成』に載っていた。猿神退治の話は全国で見つかっているが、『日本昔話集成』から、宮城県桃生郡の例[ 関敬吾著『日本昔話集成・第二部本格昔話3』角川書店 出版。一二五二頁以下参照。]を見てみる。この昔話の中では娘を助けるのは和尚である。内容は、この和尚が猿の話を盗み聞きして、シッペ太郎と言う名前の犬が苦手なことを知り、その犬を借りて帰り猿を倒すと言うものである。私が知っていたのはこの昔話の方であった。この話と、今昔物語との類似は一目瞭然であり、この例に限らず全国の猿神退治の話は大体共通している。

 では、「美作の国の神、猟師の謀により生贄を止めたる語」の中で生贄を要求する妖怪の猿神は、一体何者なのだろうか。そして、実力者とは言え、人間にいとも簡単にやっつけられてしまう上に、命乞いまでしてしまう所を見ても、神として祭られていたにもかかわらず、弱々しいという印象を受けてしまう、この猿神の性質というものは一体何なのだろうか。

 まず、この猿神が何物かということについては、中山神社編『中山神社資料』から、地主神であったことがうかがえる[ 同注15 二九七頁、池上洵一著『今昔物語集の猿神退治―巻二十六第七話を中心に―』参照。]。
そして、その猿神の特性、性格について考える時に注目しなければならない点が二つある。一つは、当時からすでに神道を始めとした他宗教に対して、神前読経などの例を見ても解るとおり、仏教の優位性は確立されていたという点[ 中井真孝著『日本古代の仏教と民衆』評論社 出版。二〇一~二〇三参照。]と、今昔物語の編者の特性についての二点である。

 私は、物語の内容から、編者はわけへだ立てなく説話を集めていると考えているが、編者は都の人間である。第一章で作者に関して、今だ不明である事は述べたとおりだが、いずれの説にせよ、編者が都会の人間であるとしている点は共通している所であり、私もそう考えている。都の人間であり、仏教者でもあった編者は、圧倒的に優位的な立場から地方神を見ていたと考えられるのである。もちろん今昔物語の編者だけが当時、特別に地方文化に対し無関心であったと言うのではない。それどころか彼の行った膨大な説話の収集は、むしろ彼が同時代人に抜きんでて、地方と言うものに対し広い視野と関心とを持っていた事を物語っている。しかし、彼はあくまでも都市人であり、自らの現実と引き比べて説話を受容する。都市の人間である編者にとって、未知の地方神に親近感を抱く理由は無く、また地方の農耕儀礼に肉感的なつながりというものもなかったのである。彼の感覚からすれば、「けしからぬ猿神に狙われた今、人間はどう行動すればいいのか」となるわけである。そういった編者の考え方が説話の中の登場人物に影響を与えている事は想像に難くない。

 この、今昔物語の書かれた時代背景にある仏教の優位性そのものと、そういった考え方をもった上、さらに都の人間でもあった編者自身により、猿神の特性、及び性格が決まったと言えるのではないだろうか。
 猿神と言う妖怪は、柳田國夫のいう「零落した神々の姿」というものに見事に当てはまる。もともとは神として奉られていたはずの神が、いつのまにか落ちぶれてしまい、人を食う妖怪にまで成り下がってしまったのは、なぜなのか。

 それは、猿神よりも強いとされる宗教が日本を席巻したためである。猿神は現在、猿神社と言う末社の祭神である[ 中山神社編『中山神社資料』三五六頁参照。]。まず、他の神と競合した結果、妖怪という存在になり[ 同注15 二九八頁、池上洵一著『今昔物語集の猿神退治―巻二十六第七話を中心に―』参照。]、さらにその話を聞いた、都人であり仏教徒である編者によって、猿神はあのような性格付けをされたのである。

 この、猿神という妖怪がなぜ落ちぶれて妖怪になったのかということについて考えるときに、私は日本人特有の考え方や思想から来る日本人の宗教に対する受容姿勢、と言うところにその理由を求めたいと思う。おなじく今昔物語に出てくる天狗にも、そのカギが隠されていると思うため取り上げてみたい。天狗にも猿神と同じく、妖怪になっていくプロセスにおいて、柳田國夫の説に山人などが零落したものと言う考え方などがあるものの[ 同注1『妖怪談義』二〇四~二一四参照。]、そう言いきるには史料的な裏づけが残念ながら乏しいため、限定する事は出来ない。しかし、今昔物語に出てくる天狗の性格や行動から、日本の仏教との関連を探りとる事は可能であるので、これと併せて、今昔物語の妖怪と仏教の関係を論じて見たい。

 まず、天狗の例を見ると、天狗の存在と言うものはあくまで、仏教に対して悪の存在として描かれているのだが、その性格はけっして決して悪一辺倒ではなく、むしろ滑稽ですらある。同じく猿神にしても、人間に負けてしまう点、約束を守るといった律儀な点をみても、完全無比の悪ではない。これは「日本人の根本的思想」が宗教に対する受容の仕方にも影響を与えた結果に、その原因を求める事が出来るのと考える。日本人は、一番の宗教を仏教としたために、日本に元々あった地主神といったような宗教を仏教は飲みこんでいったのだが、「日本人の根本的思想」により決して完全に排除はしなかったため、神は、その姿を変えつつ残ったのである。そして結果として落ちぶれて妖怪になった神も、「日本人の根本的思想」により、完全な悪の存在ではなく、むしろ滑稽な性格をもつ妖怪になったのではないか、と考える。

 では、この「日本人の根本的思想」とは何なのであろうか。それは今でも日本人に色濃く受け継がれている。そう、根本的に何事についても争いを好まない性格や考えかた、つまり、「和」のことである。この「和」の考え方が宗教に影響を与えたのである。結果として、仏教を最高の宗教としながらも、他の宗教との融合を図った日本人的な考え方、たとえば神仏習合に対しての、本地垂迹の考え方などにみられるように、他の神を完全に排除するのではなく、仏教の下に置きながらも、その存在を認めているといったような宗教に対する受容姿勢が発揮されて、妖怪の性格をつくったのだ。

 この争いごとを嫌う性格「和」は古来より見て取れる。聖徳太子は敬虔な仏教徒でありながら、十七条の憲法において「あつく三宝うやまえ」の前に「和を持って貴っとなし」としている。仏教を篤く崇拝していた聖徳太子でさえも、三宝よりも「和」と言う考え方を大事にしたわけであるから、日本人にとって「和」の精神が、いかに根本的な思想であるのかということがうかがえる。こういった他と争う事を嫌う日本人根本の「和」の精神が、今昔物語の書かれた当時の宗教の受容姿勢にも当てはまり、妖怪を生み出したし、その妖怪の性格付けをもしたのであると考えられる。このことは西洋のキリスト教社会と比較すると解りやすい。キリスト教においてのキリストは絶対神、唯一神であり、同時にそれに対する悪魔や他宗教は完全な悪である。

しかし日本においての宗教観念はそうではない。日本人は、他の神々を完全に排除すると言う考え方でなく、絶対優位の存在として仏教を認めながらも、他の宗教も認めたのである。逆説的になるが、当時の日本においての仏教は、他宗教に対して圧倒的優位に作用していたものの、キリスト教のように他宗教を完全に許さないという厳格な性格ではなかったがために、その敵である天狗といった存在も絶対悪としてではなく、あくまで滑稽な性格にしたのだと私は考える。そして、地方神であった猿神も、仏教に追いやられ人を食べる妖怪にまで零落してしまうが、結局最後は許されるのを見て解るように、絶対的な悪の存在ではない。むしろ、仕返しをしない所などは律儀な性格もみてとれるのである。

 結論としてみると、今昔物語の妖怪は、日本人の根本にある「和」思想と、その思想が仏教受容の際に与えた影響により、その存在と性格を決められたのではないかと私は思う。

おわりに

以上、本論において私は、今昔物語における妖怪について、妖怪たちの存在した原因や、妖怪の性格を、日本人の何事に対しても争いを好まない「和」の性格から来る、仏教の受容姿勢という点に求めた。この日本人の受容姿勢を考える時に、私はあるゲームを思い出す。そのゲームとは、西洋のチェス、日本の将棋である。共によく似たゲームであるが、最大の違いはチェスにおいては相手のコマをとった場合捨てることに対して、将棋は自分の駒として使える点であろう。この敵に対する姿勢に西洋的な考えと日本的な考えの違いを感じるのだ。ゲームの話をそのまま思想に結びつけるのは危険であるが、遊びの中にさえこのような違いが見られるということは興味深い。

 最後に「和」の考え方において本論では、聖徳太子の『十七条の憲法』という史料を使って、古くからある、日本人の思想であると考えたが、さらに古い昔にあったという考え方もあるので、紹介しておきたい。その考え方とは、作家である井沢元彦氏の『逆説の日本史』で紹介されている。氏によると、そもそも「和」は元々「環」であり、「環」はその字の通り、サークルといった意味をあらわしており、日本人の特徴を表していた。それが昔、中国で日本および日本人をさした古称である「倭」へとつながったのではないかとしている。つまり、「倭」と言う呼び名は古代日本人の「環」の特徴をとらえたものであると氏は言うのだ。さらに「倭」には悪い意味が含まれているため「和」という文字になり、最終的に「和」イコール「日本」になったというのだ。これはもちろん、氏の想像であり、史料的根拠はないが、この考え方と本論を併せ見るということもまた面白いと思うので、最後にここで紹介しておこうと思う。

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ちなみに、文字数が少なくなるほど、実は1文字あたりの単価は切り上がってくるので、たとえば「500文字×10円で5000円」ということはなく、500文字であっても、2000文字と同じくらいの価格です。ま、実は短くするほうが難しいんですけどね笑

下請けと、直接取引と。──お金の儲け方──

今、プロのライターとそうじゃないライター、素人の方が入り混じっていて、ライター業界は割とカオスです。なので、この記事では『お金を儲ける』という視点で、書いていきたいと思います。
まず『お金を儲けるライター』として、手堅いのは広告代理店などと契約を結び、下請けとして業務を請け負うことです。もちろん、広告代理店は“プロにお願いする”ので、原稿料はプロ価格ですが、求められる品質もシビア。いわゆる従来型の「稼ぐ方法」ですね。
あと、Web時代になって跋扈してきたのが、“釣り記事”に代表されるようなアフェリエイトサイト。これがもうここ4年ほどの間に、酷いことになっており、もうGoogleで何かを検索することはなくなりました。調べ物をする時は、百科事典が集まったサイト https://japanknowledge.com/personal/ 『ジャパンナレッジ』を使っています。間違ってもWikipediaなんて使いません笑


プロのライターだからって、威張ってられる時代じゃない。

プロと言っても、上には上がいるので、「1つの原稿、1つのキャッチコピーで50~100万円」なんていう著名人もいます。その下あたりに、上記のような下請けとして活躍する、名もなき専門職のライターが存在するのです。
ちなみに、ライター志望の方に、1文字10円以上、1つの現場で1万円以上(取材など)で「プロは、1日3~5万程度は稼ぐよ」というリアルな原稿料の話をすると、「そんなに儲かるんですか!」と、目を輝かかせてくれます。
「でもね」と私は続けます。「専門職にふさわしい知識やスキルを持っていることが大前提だよ。なおかつ、これからの未来は暗いよ」と、現実を告げることにしています。だって、もう「下請け」で稼げる時代じゃないですもの。


昔は良かったとか言ってる場合じゃない。

私の場合は、新聞記者から広告代理店でのコピーライター・ディレクターを経て、今はフリーランスになりました。なお、フリーランスという肩書は、最近で普通になりましたが、独立した当時はそこまで多くなかったことを覚えています。当時はだいたい“自営業”と言ってましたから。
──昔は、ライターやカメラマンという職種は、10年程度の修行期間を経て、専門職になり“自営業”として独立する人が多かったので、原稿料も原稿の質も「プロ価格」で一定水準を保っていました。※雑誌や新聞系と、広告では請け負う金額が実は違うのですが、本稿ではわかりずらいので一旦ここでは、「経験のあるプロ価格」と「アマチュア価格」としてわけさせてください。ただ、現在は修行期間もへったくれもなく、自称だろうが素人だろうが飛び込んでくるのがライター業界なので、品質も値段もそりゃもうカオスなことになってきます。映像で言えば、TVタレントと、YouTuberみたいなものですね。
もちろん、昔気質のライターは「昔は良かった」と愚痴をこぼします。私だってそうです。でもね、そんなこと言ってたって、おまんまは食べれないのですよ。かといって、安い仕事を請け負って、高い仕事と同じ品質を担保するのって、現実的じゃないですよね。

結論。ライターで食べていくなら、自分の好きなことや得意分野のことを書く方が良い。

上記のような状況なので、私から見て「単価が高くて、結構稼いでらっしゃる!」というプロのライターさんでも、最近は引退して別のことをしているケースが多々見受けられます。私自身、ほぼ株式投資でコツコツやってる状態ですし。
あ、あと「価格」でいうと、紙媒体とWeb媒体の違いも大きく。実は私がライターデビューした頃って、紙媒体も割と存在感があったのです。で、紙媒体は昔からある媒体なので、価格も高い。Webは安いという流れができつつありました。
──で、結局何が言いたいかというと。「ライターするなら、自分の好きなことだけ書くのが良いよ」ってことです。昔みたいに、下請け仕事で「プロでんねん。稼いでまんねん」みたいなことはもう無理。だったら、下請けではなく、カスタマーと直接つながる直接取引で、マネタイズするなどを企画して実行するなどしないと未来を切り拓くことはできないのですよ。

最後に、宣伝など笑

私のテンション的に、アフェリエイト用の文章を教えることは不可能ですが、「自社サイトの宣伝や、広報活動のためのライティング技術を教えて欲しい」「正しく、魅力的に文章で物事を伝える方法を学びたい」みたいな方は、講座を開きますのでぜひ、コメント欄でもお問い合わせ欄からでも、お気軽にお声掛けください。

サンバイオショックを、他山の石とせよ。

サンバイオショック

サンバイオというマザーズ上場の株が、ストップ安3連を続けている。1月21日の終値が1万1710円。そこから、5710円にまでストップ安を連チャンでつけたけれど、まだ値がつかない。そのため明日からは、ストップ安水準の幅が2倍に広がり、通常1000円のところが2000円に。ストップ安だと3710円になる。ただ、それでも寄り付かない模様だ。そうなるとさらに2000円安となり、1710円に。「さすがにそこまでには寄り付くだろう」というアナリストの見立てが多いようだが、地合いもあるだろうし、どうなるかはわからない。ちなみに、ストップ安の場合は買う人が圧倒的に少ないせいで、どれだけ売りたくても「売ることができない」だから、どんどんと損害が増大していく。

上記の金額を具体的に示すなら1万1710円×100株(最低限の単元数)=117万円で買った場合、現在で57万1000円に。月曜日にストップ安になったら、37万1000円に。さらに次の日もストップ安水準になれば17万1000円になるまで売れないのだ。だいたい、100株だけ持っている人は少なくて、多くは信用取引(自分の持っている金額の3倍をかけることができる)で買いを入れている。もしこれの5倍、10倍、100倍を買っていたら…もう既にネットには、「Kちゃんまんの借金返済ブログ~サンバイオで信用二階建て後に撃沈~」http://kabukabu-chanman.net/ などの個人投資家のみなさんが苦しんでおられるブログが散見される事態になっています。

こうしたサンバイオショックは、マザーズ全般に広がっており、マザーズ指数の押し下げに繋がり、久々に「取引停止=サーキットブレーカー」が作動しました。8%先物で落ちたので、そこそこ異例です。

見るに堪えない、ネットのサンバイオ株保有者に対する罵詈雑言。

で。ネットを見ていると「サンバイオみたいな危ないところに投資するのは、ギャンブルだ」「資金コントロールしないだ」という攻撃の言葉が溢れかえっていますが、僕は「いやいや。自分に返ってくるんやで、その言葉」と思っているんです。

株は自己責任。でも他人のことを嘲笑っていたら、いずれ自分も失敗した時に、同じことを言われます。そして、言う人はほぼ100%言われるようなことをしでかします。

…だから、人を貶めるのではなく「他山の石」と捉え、粛々と自分のポジションを決めて、戦っていきましょう。孤独なまでに一人(Vガンダムのエンディングテーマ/WINNERS FOREVER ~勝利者よ~より、抜粋)